オリジナルコラム
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執筆者: 島崎 生江
vol.27 パラオと日本

日焼けのお話パート2

めてパラオを訪れてから、もう7年の月日が流れました。 その内の約5年間、憧れだったパラオの地は、私の生活そのものでした。
パラオ卒業生の私ですが、パラオの人たちと交流した思い出をお話したいと思います。

皆様もご存知の通り、パラオは日本と深い関わりのある国です。
パラオは様々な国に統治をされてきた歴史を持ちますが、1920年の日本統治の開始に伴い日本語による学校教育がパラオ人にも行われました。 その為「日本語」は、今もパラオの生活の様々な所で残っています。 日本に統治されていた時期に子ども時代をすごしたお年寄りは、今でも流暢な日本語を話しますし、「日本はパラオを豊かにする知恵を沢山くれた」と、パラオのお年寄りから統治時代のお話を聞いた時は、なんだか嬉しくもありました。 また1993年から2001年までパラオ大統領として就任していたクニオ・ナカムラ氏は日系人でもあり、そうした所からも、パラオと日本の深い関わりを感じる事ができます。

現在、パラオでは、小学校(6歳?14歳)の8年間の義務教育があります。 小学校は、各州に公立20校と、私立が2校の合わせて22校、その後は約半数の生徒が高校(15歳?18歳)に進学します。 高校は4年制で、公立1校と、私立5校の計6校あります。 授業は必修科目と選択科目があり、その選択科目には日本語も含まれています。 
では、パラオの未来を担う子ども達の日本に対する関心は? というと、やはり高く、日本語クラスを選択している子ども達も沢山います。 
当時(2004年)日本語を教えていた先生達(JICA 海外協力青年隊が主)が、パラオで日ごろ日本語を勉強している生徒たちの成果を発表する場を作ろう、という趣旨のもと、日本大使館の主催の下に「Japanese Language Fair」が行われました。
PCC(Palau Community College)の講堂で1日がかりで行われる全3部の大イベント。
第1部は、各学校単位の日本語による劇や歌の披露 第2部は、当時PCCの学長だったローズマリー先生による、日本留学体験をもとに日 本語を勉強する面白さ、という内容のスピーチ 第3部は、日本の文化(茶道や折り紙、書道など)を体験するコーナー 
子ども達が桃太郎の劇を一生懸命演じている姿は微笑ましく、 また高校生の「世界に1つだけの花」の合唱には胸が「じ?ん」と熱くなりました。 第3部で、私は茶道コーナーをお手伝いしたのですが、お茶を点てる動作に興味津々の子供達。 点てたお茶を見るなり、「わさびのお茶か!」と目を丸くしている子ども達の驚きの顔。 お茶よりもお菓子を心待ちにしている可愛い顔。 書道のブースでは、墨に悪戦苦闘しながらも、覚えた日本語を一生懸命書いている真剣な姿。 浴衣コーナーでは女の子も男の子も「着物・着物!」と目を輝かせて浴衣の袖に腕を通して楽しんでいる姿。 真剣な表情で折り紙と格闘している子供達。 

「人と関わる時大切な事は、まず相手の事をよく知る事」
純粋に日本・日本人を知ろう、として「日本語」や「日本文化」と一生懸命取り組んでいる彼らの姿をみて、不意にそんな事を思いました。 
縁があってパラオで過ごす事が出来た私は、パラオの自然やパラオの人たちに暖かく迎えられて過ごす事が出来ていたんだな、と改めて思います。 
パラオの豊かな自然・パラオの暖かい人たち、子ども達の純粋な笑顔、 パラオにはパラオでしか味わうことの出来ないかけがえのないものが沢山あって、パラオは本当に魅力的な所です。 またパラオに行きたい!と思う気持ちは、日本の文化を素直に受け入れてくれているパラオの暖かい空気にあるのかもしれません。 
これからもパラオと日本の交流が続いて、素敵な関係でいる事を願ってやみません。

島崎生江

島崎生江 (しまざき いくえ)
元ドルフィンパシフィックスタッフ。ドルフィンでは障害児とイルカとのふれあいプログラムに携わり、パラオ日本人会日本語補修校の先生として幼児教育にも力を注ぐ。現在都内在住、保育園で乳児保育に奮闘中。